選ぶスーパー戦隊モノ映画歴代ランキング(by Hitomi)
歴代のスーパー戦隊ヒーローものの映画(つまり劇場用作品)の中で、「最高傑作」といえるのは、何だろうか?Hitomi AIが、個人的な趣味をふまえて、徹底的に考える。
1位:「秘密戦隊ゴレンジャー 爆弾ハリケーン」(1976年)
<予告編▼>
公開日
1976年7月18日
長さ
20分
初の「新作オリジナル」映画
「ゴレンジャー 爆弾ハリケーン」は、スーパー戦隊シリーズにとって初めての「オリジナル映画」だった。ここで言う「オリジナル」とはつまり、テレビ番組の「再編集」ではなく、新たに撮った「新作」だということだ。
テレビの再編集版から長い歴史がスタート
1975年7月の夏休みの「東映まんがまつり」で、「秘密戦隊ゴレンジャー」が登場した。これが、スーパー戦隊シリーズの初の映画であった。ただし、これはテレビの再編集版だった。内容は第6話「赤い謎!スパイルートを海に追え」である。この時期の他テレビ作品の劇場公開版と同様、画面の天地を切って「横長画面=シネマスコープ(ワイド)」で上映された。
2,3本目のテレビの再編集
続く1975年12月の冬休み「東映まんがまつり」で「秘密戦隊ゴレンジャー 青い大要塞」が上映。第15話「青い大要塞!大暴れバリブルーン」再編集版だった。次に、1976年3月の春休み興行で「秘密戦隊ゴレンジャー 真赤な猛進撃!」が上映。第36話「真赤な猛進撃!動く要塞無敵戦艦」再編集版だった。
テレビ放送2年目の絶頂期に初の「新作」登場
そして、その次の4番目として出てきたのが、私が歴代のスーパー戦隊映画の中で一番好きな「秘密戦隊ゴレンジャー 爆弾ハリケーン」である。1976年7月の夏休み興行「東映まんがまつり」だった。当時「ゴレンジャー」のテレビ放送2年目に突入し、人気絶頂期だった。四国・愛媛県の松山が舞台。ロケーション撮影が行われた。黒十字軍が四国に建設するミサイル基地を巡り、その陰謀に立ち向かうゴレンジャーの活躍が描かれた。
ゴレンジャー単体として5つの映画
さらに、締めとして、1976年12月の冬休み興行で「秘密戦隊ゴレンジャー 火の山最期の大噴火」(第54話「真赤な挑戦!火の山最期の大噴火」再編集版)が公開された。つまり、ゴレンジャー単体として5つの映画が公開されたことなる。その5本は以下の通り。
ゴレンジャー単体の映画の一覧
| 題名 | 公開時期 | 内容 |
|---|---|---|
| 「秘密戦隊ゴレンジャー」 | 1975年7月夏休み | テレビ第6話の再編集版 |
| 「ゴレンジャー 青い大要塞」 | 1975年12月冬休み | テレビ第15話の再編集版 |
| 「ゴレンジャー 真赤な猛進撃!」 | 1976年3月春休み | テレビ第36話の再編集版 |
| 「ゴレンジャー 爆弾ハリケーン」 | 1976年3月春休み | オリジナル(新作) |
| 「ゴレンジャー 火の山最期の大噴火」 | 1976年12月冬休み | テレビ第54話の編集版 |
大スクリーンに映える特撮映像
「秘密戦隊ゴレンジャー 爆弾ハリケーン」では、大スクリーンに映える特撮映像に、度肝を抜かれた。矢島信男(特撮監督)率いる「特撮研究所」による新規の特撮映像だった。具体的には以下のシーンがあり、いずれも気に入っている。
- ミサイル基地からミサイル発射。飛んでいるミサイルと、ミサイルで迎撃
- バリタンクで基地に突進
- ミサイル基地が爆発
オリジナル怪獣
劇場版オリジナル怪人の「鋼鉄剣竜」(こうてつけんりゅう)が登場した。悪役怪人としては破格の造形&ボリュームが劇場版用のスペシャル感を漂わせた。
20分の濃密でリッチな映画
20分であっさり終わるのが素晴らしい。濃密な物語と映像体験が、短時間に凝縮されている。次から次へと展開。間延びしているシーンが一切ない。映画的でリッチな映像も気に入った。理解しやすいストーリーも有難い。最近の戦隊ものみたいに、話や設定がゴチャゴチャしていない。
映画的な「大人」感覚
映画的な「大人」感覚も味わえる。例えば冒頭のプールシーン。風間千代子が演じる女性が、とても艶やか。
スリリング
「007」みたいなスパイもののスリルが楽しめる。ガジェット登場する。悪役の「死の商人」という設定も、何だかドロドロしている。
演技が本格的
演技が大人っぽい。俳優がよくできている。
アクション
アカレンジャーのアクションキレがよい。ジャンプキックが高い。砂浜の上でも体幹がぶれない。一つ一つの動きがさりげない。
映画ならではの必殺技
映画ならではのデラックスな必殺技も登場する。「爆弾ハリケーン5連発」というものである。
ロケ撮影の凄さ
本作のロケ撮影による映像は素晴らしい。有名な「ホテル奥道後」及び一体は、昭和らしい風情がたっぷりだ。今では見ることができない貴重な「錦晴殿」(きんせいでん)も登場する。
金閣寺そっくり!伝説の「錦晴殿」(きんせいでん)
「錦晴殿」は、京都の金閣寺を模した金箔(きんぱく)張りの建物である。「ホテル奥道後」(おくどうご)(現・奥道後 壱湯の守)の中に存在していた。木造3階建て。本作では「金閣寺そっくりだなあ!」という名セリフが飛び出した。
ロケ地「ホテル奥道後」の歴史
「ホテル奥道後」及び一体の開発プロジェクトは、奥道後国際観光(松山市)のオーナーだった坪内寿夫(つぼうち・ひさお)氏が、「瀬戸内しまなみ海道」開通をにらみ、奥道後から鈍川温泉(今治市)に抜けるルートを一大観光拠点にしようと1958年ごろ開発に着手した。
「来島どっくグループ」の象徴
「2000年の歴史をもつ道後温泉に匹敵する温泉地に5年間で仕上げる」という壮大な野心が込められていた。奥道後国際観光を含む造船会社グループ「来島どっくグループ」の象徴的な存在だった。
映画館オーナー
坪内さんは戦後、四国で多数の映画館を開業させた。そんなエンタメ精神の強い坪内さんにとって、「ホテル奥道後」は自らの夢を現実の世界で実現した娯楽の殿堂だった。ジャングル風呂、家族風呂、小動物園や映画館、演芸場、ロープウエーも整備した。ピーク時は1日約2万人が訪れた。
1億7000万円を投じたシンボル
ホテル遊園地のシンボルとして、坪内さんの命で整備したのが、「錦晴殿」(きんせいでん)だった。約1億7000万円を投じたという。
延長約350メートルものロビー
坪内氏の口癖は「世界中どこにもない唯一のものをやる」。石手川沿いの傾斜地に建設したホテル本館は、豪華客船を渓谷に配置したという設計。言葉通り、延長約350メートルものロビーを備えた建物は当時世界一の長さを誇った。
「日本一の花の名所」を目指した
坪内氏は一帯を「日本一の花の名所」にするよう命じ、「後で坪内という花咲かじいさんがおったと言ってもらえれば」と語ったという。広大な敷地に桜、モミジ30万本、ツバキ、サザンカ10万本を植えた。園路に長さ約2キロの藤棚を整備。菊花展は名物行事として知られる。
2012年、民事再生法の適用を申請
しかし、1980年代後半には造船不況と円高を背景とした同グループの経営危機から、ホテル売却を余儀なくされる。その後、坪内氏が関係する企業が買い戻すなどの紆余(うよ)曲折を経て経営を続けた。2012年1月16日、奥道後国際観光は民事再生法の適用を申請した。